房総の作家

■プロフィール
中谷順子(なかたに・じゅんこ)
  詩人、文芸評論家。房総文化懇話会会員。元千葉県詩人クラブ会長。詩誌『覇気』主宰。詩集に『返信』『白熱』『破れ旗』、著書に『房総の作家①②③』など多数。千葉市在住。


孤児となった末娘 水野葉舟(10)


本佐倉経胤寺墓地に建つ押尾孝歌碑。「憶いでのひとつひとつが輝きて雪はふりつむ山のねむりに」が刻まれている

 葉舟は昭和22年2月2日に三里塚御料牧場の一隅で、63歳で逝去した。

 晩年の葉舟と共に暮した宮本満寿と葉舟の娘・三重子さんのことだが、葉舟が亡くなると、別居していた文子夫人が大清水に現れ、満寿と10歳だった三重子さんは家を出たという。二人は茨城の満寿の実家に帰るが、間もなく満寿は夫のあとを追うようにして逝去している。

 葉舟の高弟・押尾孝氏の長男・禎一さんは平成19年1月21日に成田市立図書館で行われた講演会「水野葉舟を巡る人々」(講師・本多浩)に出席したおり、偶然、隣席に座ったのが三重子さんで、竹馬の友であった二人は55年ぶりに再会を果たした。同図書館の大里富枝さんが三重子さんを見つけ出し、呼び寄せ、禎一さんの隣席を配慮下さったそうだ。

 銚子の東日本新聞社を発行していた越川芳麿氏(故人)は葉舟と親交の深かった人物。その縁で越川夫人と子息・行雄氏も参加した。小川英氏も思い出を語った。

 昭和27年春のことだが、孤児になった三重子さんが東京で職を得ていたころ、禎一さんは大学に入学したばかり、二人は上野で会い映画「ダニー・ケイの牛乳屋さん」を見て別れ、それきり消息は絶えていたという。55年ぶりとはその後を指している。

 講演会のおり、三重子さんは母と大清水を去ったときを、「忘れもしない、昭和22年5月1日メーデーの日でした。母と二人成田駅を出るとき、涙を流しながら、もう二度とこの地を踏むことはあるまい、と思いました」と語って下さったという。

 葉舟の親友の高村光太郎も幼い末娘の境遇を哀れんで、せめてあの三里塚の家ぐらいなんとかしてやれないものか、という内容の手紙を押尾孝氏あてに出している。(この手紙は禎一氏が成田市立図書館に寄贈)孝氏も深く心配した一人だった。・・・


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