妻と別居し、三里塚御料牧場の一隅(現・成田市)で永く独り暮しを続けていた葉舟と、家事の手伝いの宮本満寿に、娘・三重子が生まれるのは葉舟55歳、満寿27歳のこと。
そのころ(昭和13年)、葉舟は『新綴り方読本』を春陽堂文庫から刊行している。児童文学の世界では鈴木三重吉が大正7年『赤い鳥』を創刊して以来、確固たる地位を築いていたが、昭和11年には終刊。児童文学の正しいあり方を巡って新しい考えが渦巻いていた。葉舟も児童文学に新境地を示している。
『新綴り方読本』の序文で、「あくまで文学まがひの名文目的から綴り方を救って、人が正しくものを考へ、ものを言ふやうになる道としたい」と述べているが、文中で「文学まがひの名文目的」との厳しい口調は、三重吉の『綴り方読本』を批判したもの。
『新綴り方読本』は千葉県印旛郡の児童を中心に、約二万篇のうちから70篇が選ばれ、葉舟の丁寧な指導が示されている。児童文学に興味を示したのも、愛娘・三重子の誕生への喜びがあったからだろう。
昭和15年9月に、遠山村に移住してから作歌した325首をまとめ、第二歌集『滴瀝(てきれき)』を出版。手漉き和紙を用いた箱入り豪華版で、「草木野出版部」から150部限定で刊行されている。
表紙画は高村光太郎が考案した墨筆文字。光太郎は追悼文で、水野君の小説集小品集は大てい私が装本したと記している。
現在の成田市三里塚記念公園・貴賓室前には、高村光太郎の詩碑と並んで、葉舟の歌碑が建っている。碑の歌は『滴瀝(てきれき)』の第一首「我はもよ野にみそぎすとしもふさのあら牧に来て土を耕す」が自筆の文字で彫られている。
荒れたこの地を耕して生きていこうとする身が引き締まる決意が伝わってくる歌だ。
歌碑の裏面には窪田空穂の文で、葉舟の略歴が記されている。
60歳を迎えた昭和18年に小品集『隣人』を出版。利根川を描写した文章をあげてみよう。・・・