柏で発足した「八木重吉の詩を愛好する会」の活動は、詩碑『原っぱ』が建立され、記念誌『柏と詩人八木重吉』が発行された後も、引き続き行われている。
「八木重吉の詩を愛好する会」は、会報『いっぽんのみち』を年に5回から6回発行。柏文学散歩を実施。「茶の花忌」に出席し町田市の重吉実家や記念館を訪ね、重吉の詩碑が建つ多くのゆかりの地-大戸小学校通学路、川尻小学校、相原幼稚園、兵庫県御影中学校、夙川公園、八ッ面山、みどり川河畔の詩碑を写真に収め(このときの詩碑撮影をもとに詩碑絵葉書を作成し配布している)、ゆかりの人や愛好家と出会っている。こうした活動により、ゆかりの地から愛好する会への入会もあり、茅ケ崎文化人クラブと交流するなど、活動は全国へと広がっている。
また弥生書房版・八木重吉詩集の編者、佐古純一郎氏を招いての講演会や、愛好する会の座談会を開いたり、ゆかりの地一覧図表や年表を作成するなど積極的活動を展開している。
登美子夫人は重吉死後、桃子、陽二を養育するものの二児とも重吉と同じ肺結核で亡くしている。吉野秀雄と再婚するが、昭和42年には秀雄も死去。
昭和61年に鎌倉に一人住まいの登美子夫人を、「八木重吉の詩を愛好する会」が訪ねたことなどから、会の事務局の天利武人氏や柏の人々と、夫人との文通も始まり、登美子夫人から送られた数通の封筒や手紙文の一部が『いっぽんのみち・10周年記念誌』に掲載されている。・・・