葉舟の歌集『滴瀝(てきれき)』は遠山村駒井野(現成田市、旧三里塚御料牧場の一隅)での生活を詠んだもの。昭和15年9月に刊行されている。その冒頭に、移住した当時の様子を葉舟は日記文で記している。
大正13年2月、下総国印旛郡遠山村駒井野の開墾に移り住む。自分で藁の穴と呼んだそこの開墾小屋にはいって住み、まづここの生活をどう築かうかと、その事ばかり考へながら日を送る。その小屋は林に取囲まれた少しばかりの畑の中に、ただ一つぽつりと建つてゐるほったてであった。(『滴瀝』)
都会の煩雑から解放され、自己の生き方を自然生活に見出そうとする自ら望んだ暮らしではあったが、野鳥によってついばまれた木の実がきまぐれで落とされたような、思わぬ運命に運ばれた心細さに充ち、その生活は予想を上回る厳しさだった。当時の開墾者の貧しい生活が前文から想像される。
葉舟は当初は藁の穴と自ら呼んだ開墾小屋に入ったが、その後、「小屋の隣に新たに土地を求め、林にかこまれた2千坪の畑地に家を建て、妻も住んでこれを『ランプの家』と呼んだ」と坂本哲郎『房総の文学風土』に書かれている。
葉舟が遠山村で執筆した『村の無名氏』(昭和11年刊)には、この地にやって来た当時の村の雰囲気について、次のように記している。
私が初めて三里塚に来たのは、今から15年ぐらゐ前の事だが、その時分のあの町は、穏かに眠ってゐるやうな処であった。生き生きした活気といふやうなものは見えなかったけれども、ゆっくり眠ってゐる感じのする穏かな町であった。そこに、私はいきなりぽつりと一人でやって来たのである。(『村の無名氏』より)
葉舟は2度結婚していて、最初の妻・千枝子は二子を残して(長女・實子はのちに尾崎喜八の妻となる)病死し、2番目の妻・文子を迎えていた。「ランプの家」を建てて呼び寄せ、共に暮らすのは2番目の妻・文子で、ほどなく次男・清(のちに衆議院議員・建設大臣となる)が、その家で生まれている。・・・