葉舟(1883~1947年)の人柄と小説が、当時どのような評価をうけていたのか、小栗風葉の文章を見てみよう。
「氏の作品こそ何処か素直な、癖のない、氏其まゝの作品と云ふことが出来る。…思ふに一度氏に接した者は必ず此の感を抱くに相違ない。其の説話、其の描写、事件の運び方、乃至其の観察の仕方は勿論のこと、氏の談話、氏の態度を宛乎(さながら)に思ひ浮かばしめる。氏のうちにあるところのものが、其のまゝすらすらと氏の作物の上に顕れて居る。此の意味に於いて、氏は最も自己を偽はらざるものと云ふことが出来ると思ふ」(明治41・12『趣味』より)
また、中村星湖は『早稲田文学』(大正2年)「水野葉舟氏へ」で、次のように記している。
「『悪夢』『おみよ』其他のあなたの長短の作には、あなたでなければ誰も持つてゐない、線の細い、しなやかな言葉が使はれてをります。言葉の天才といふ者があるとするならばあなたはまさしく其一人だと存じます。女性に対する敏感、これも今の所あなたの右に出る人は少なからうと存じます」
二人の文章から察するところ、葉舟の素直で率直な人柄そのままを表すその筆致は、繊細な感覚と清新な作風に満ち、文壇で高く評価されていたことがわかる。特に官能描写に秀で、男女の不安定な心理や、娘の可愛いらしい性の喜びを歌い上げた。しかし星湖は前文に続けて、彼の繊細な文章を尊敬しながらも表面のみにとらわれた描写を指摘し「洞察も観照も対象の表皮一重に阻まれて」いると批判もしている。
好評で迎えられていた明治43年、『中学世界』臨時増刊「学生倶楽部」に「陰」を発表したが発売禁止処分を受け、さらに「おみよ」前編も発売禁止となった。小説集として『悪夢』『微温』『壁画』『おみよ』等がある。同45年小品集『森』を刊行。しだいに小説を離れ、歌や小品文が主体となっていく。・・・