『柏と詩人八木重吉』(昭和60年)に、吉野登美子(重吉死後、とみ子夫人は吉野秀雄に嫁す)の柏の思い出「八木重吉の妻として柏の里」が載っている。
「八木は学校から帰ると、詩と信仰に心を燃やし、処女詩集『秋の瞳』を新潮社より先ず出版し、小さなつつましい詩集でしたが、世にみとめられ、だんだん求められて詩を新聞や雑誌に発表するようになりました。」と書かれ、さらに「『秋の瞳』は定価1円でもよいのですが、八木は70銭として、貧しい山村の青年でも読めるようにとの願ひでした。桃子、陽二は丸々と太り親子4人はとても幸福でした。詩人八木重吉は柏の里で誕生したのです」と記している。
大正14年8月1日に出版された『秋の瞳』は、菊半截判、白色厚紙表紙、背黒布クロース装丁で、決してつつましい詩集ではないが、70銭は安価だったと思われる。70銭に決めたのが貧しい青年にも読んでもらいたい重吉の希望だったことがわかる。
『秋の瞳』刊行の少し前から道が拓け、大正14年7月17日『読売新聞』に「いきどほり」「かけす」「路」「丘」の詩4篇が掲載されている。『文章倶楽部』同年8月号に「椿」「心」「筍」「春」2篇「顔」「絶望」「雲」「断章」の詩が、同年9月号に「原っぱ」(東葛飾高校敷地内に詩碑あり)「松林」が発表されている。『秋の瞳』の原稿がまとめられたあと、加藤武雄の口ききで掲載されたものと思われる。
これらの詩は大正14年4月にまとめた手作り詩集「桐の疏林」「春のみづ」「ことば」から抜粋され、重吉が4月に柏に移転してから詩作されたもの。『読売新聞』に掲載された「路」の詩を紹介しよう。・・・