重吉が処女詩集『秋の瞳』を刊行するのは、大正14(1925)年8月1日のこと。同年4月に東葛飾中学校(現・県立東葛飾高校)に赴任し、1学期を終え、2学期を迎えるまじかのことで27歳だった。新潮社から出版。『秋の瞳』は生前に出版された重吉の唯一の詩集である。
重吉には、初期詩稿を同12年にまとめた手作り詩集があり、画用紙の表紙に絵具や墨で表題とカットをつけリボンで綴じ、同年6月までに18冊350篇を編んでいる。それ以後は簡単な装丁となっていくものの詩集作成は終生続けられている。
『秋の瞳』はこうした手作り詩集から珠玉の詩篇を取りだしたもの、例えば1冊目の「詩集・感触は水に似る」からは「心よ」「止まったウオッチ」の2篇が『秋の瞳』初稿に収録され、「詩集・龍舌蘭」からは「龍舌蘭」「哀しみの秋」の2篇が、「詩集・白い哄笑」からは「空を指す梢」「白き響」の2篇が、「詩集・虔しい放縦」からは「秋のかなしみ」「泪」「石くれ」の3篇が『秋の瞳』の初校に収録されている。
そうした手作り詩集から選んだ詩篇と、さらにそれ以外の13年秋までに作った詩稿を加え、全体で千篇を超す詩作から自選され、さらに入念に推敲を重ねて、『秋の瞳』117篇がまとめられた。年代をみると、大正10年から2篇、11年から15篇、12年から71篇、13年から9篇。年代不詳のもの20篇となっている。
『秋の瞳』の刊行前に雑誌などに発表された作品はない。
なかでも、大正12年8月から12月までのものが集中的に収められている。12年は、5月に長女桃子が生まれ、12月には教員の俸給も五給俸から四給俸に上がるなど、家庭的にも、収入も安定した時期と考えられる。
重吉が『秋の瞳』の編集にとりかかったのは大正13年春で、原稿は親戚である加藤武雄(武雄の祖父の姪が重吉の母・つた)に託されたが、最終的には推敲が重ねられ、同年の秋までかかったと考えられている。・・・