光太郎が妻・智恵子との愛の軌跡を詩集にした『智恵子抄』を刊行するのは昭和16年8月、光太郎58歳のとき。
その代表詩「千鳥と遊ぶ智恵子」の碑が、智恵子の療養していた九十九里浜の地に立っている。光太郎は真亀納屋にいた智恵子を見舞いに訪れたとき、2人はよく松林を散歩し、浜辺で千鳥とたわむれたという。その思い出が詩「千鳥と遊ぶ智恵子」「風に乗る智恵子」に結晶し、又随筆「九十九里の初夏」にしたためられている。
2人の思い出の地・真亀海水浴場の浜辺に、詩碑が建立されたいきさつだが、地元の白濤俳句会の働きかけから町ぐるみの運動に発展し、人々の淨財を得て、昭和36年7月に建立された。巨石は根府川石で、久我貞三郎氏が寄贈し、石に光太郎自筆原稿のペン字を拡大して、東金市小川屋が彫刻した。
詩碑裏には、詩誌『銅鑼』で光太郎と深く交流のあった草野心平が、建立のいきさつの文章を捧げ、特徴ある心平の肉筆文字で彫られている。
◆千鳥と遊ぶ智恵子
人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜の/砂にすわって智恵子は遊ぶ。/無数の友だちが智恵子の名をよぶ。/ちい、ちい、ちい、ちい、ちい-/砂に小さな趾あとをつけて/千鳥が智恵子に寄つて来る。/口の中でいつでも何か言つてる智恵子が/両手をあげてよびかへす。/ちい、ちい、ちい-/両手の貝を千鳥がねだる。/智恵子はそれをぱらぱら投げる。/群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。/ちい、ちい、ちい、ちい、ちい-/人間商売さらりとやめて、/もう天然の向うへ行つてしまった智恵子の/うしろ姿がぽつんと見える。/二丁も離れた防風林の夕日の中で/松の花粉をあびながら私はいつくまでも立ち尽す。
詩中の花粉の思い出について光太郎は『智恵子抄』で記している。…