房総の作家

■プロフィール
中谷順子(なかたに・じゅんこ)
  詩人、文芸評論家。房総文化懇話会会員。元千葉県詩人クラブ会長。詩誌『覇気』主宰。詩集に『返信』『白熱』『破れ旗』、著書に『房総の作家①②③』など多数。千葉市在住。


八木先生の思い出 八木重吉(5)


八木重吉詩碑建立記念誌『柏と詩人八木重吉』(昭和60年、八木重吉詩碑建立委員会発行)

 東葛飾中学校(現・東葛飾高校)で教鞭をとっていた重吉の面影について、八木重吉詩碑建立記念誌『柏と詩人八木重吉』の「東葛中時代の八木重吉・卒業生の証言」に、生徒の人々の思い出が載っている。

 中学2回生の根本一夫さんは「おだやかな優れた先生」や病身だった記憶を上げ、岡田茂夫さんも「おとなしいもの静かな先生」を、岩井茂雄さんも「色白、丸顔、小柄、細い目、柔和という言葉がぴったりの先生」と述べている。

 岩井さんは豊四季の原っぱに連れていかれた時、先生が「青い空、白いくも、ああ赤とんぼがわらってる」の詩を読みあげたという。「おとなしいが熱心な先生だった」と述べている。

 重吉が詩人である自分をそのまま生徒たちに示していたことがわかる。

 同じく2回生の林栄延さんは、重吉先生の教員住宅の「屋根に登ってラジオのアンテナを直したことがあった。また奥さんの体の悪い時『中将湯』(漢方薬)を買いにいったこともあった。先生は虫を踏むのもかわいそうだ、というやさしい人で、奥さんも人格者で美しい人だ。」と述べている。重吉の詩「ぐさっとやってみたし、人を殺さば心よからむ」の詩をいまでも憶えているという。

 甲田(旧姓鈴木)正平さんは炭などを手広く扱っていた地主の子息で、先生の家に炭などを配達したことがあるという。そんなとき先生は「いつも机に向かっているか、横になっているかしていた。」と、詩を書く重吉の姿や病弱な姿を伝えている。

 2回生で元東葛飾高校校長だった齋藤充さんの「八木重吉先生の思い出」によると、八木先生が詩人であることを知ったのは一学期の終わり頃であったように思うと述べている。ある日、先生から「詩作は決して難しくもなければ技巧も要らない。ただ強く感じた事をそのまま書けばそれが詩である。諸君もどしどし作って下さい」と教えられたという。・・・


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